21日
午前中市内観光。

メキシコ料理は思ったよりかなりおいしかった。海に近いせいか魚介類が多く、イカやタコのフライや刺身はかなりおいしかった。

午後からは明日のするマラソンのコースをパレードをしながら車で一周回った。トラックの後ろに乗り飴やお菓子を道端の人たちにばら撒きながら走った。
   

  通訳のモラリス君が同じ車に乗るのはクリアカンのコンテストで選ばれた美女だから期待するように言われたが乗り込んできた二人をみてかな〜りがっかりした。
  

  あえて写真は載せませんがどうしてもという方はメールでお送りします。

22日
 いよいよレース当日、サハラマラソンを終えてからこのマラソンまでの10ヶ月の総走行距離は100kmくらいとサハラの貯金だけで走るようなものだったので勝負抜きで楽しんで走ろうと思っていた。 

 スタートは朝7時まだ外は真っ暗だ。昼間は30℃くらい上がるが朝は10℃以下と寒いくらいだった。真っ暗な中、大会委員長がマイクを持って大声で演説し続けそれが終わるといきなりレースが始まった。

 コースは平たんでかなり走りやすく涼しいこともあり練習不足の割には最初の10kmはいい感じで走れた。

  ハーフを過ぎて時計を見ると1時間22分とまあまあのペースで入れたが、そこから気温が高くなるにつれずるずると落ちてきてラスト10kmはしょぼしょぼの走りになってしまった。やはり練習してないと後半にもたない。

 ゴールはクリアカン市庁前なのだがゴール前にあんなにカメラマンがいたのは陸上人生で初めてだった。軽く20人はいたか、よぼよぼになりながら異常なまでのカメラマンに囲まれてゴールするのは不思議な気分だった。

 この日の夜、ホテルで疲れを取っているといきなり部屋の電話が鳴り電話に出てみると英語で下のフロア−に降りて来いという、不思議に思いロビーに行ってみるとメキシコ人のおじさんがいす座って待っていた。
 

  お互いつたない英語で話しをしているとそのおじさんは、戦後まもなくの日本の新聞や文芸O秋、昔の写真を見せてくれたそして俺の先祖はヤマグチという、お前と俺は兄弟だということを言い出した。
   

  おじさんは日系人で同じヤマグチという名前の僕を親戚か何かと勘違いしているのだろうと思った。ここクリアカンに着いたときから地元の新聞に大きく載っていたらしく、僕の載った新聞をたくさんもっていてくれた。2時間ぐらいホテルのレストランでコーヒーを飲みながら話し続け、最後におじさんは絶対に日本に行くからというようなことをいって別れた。